時給換算して動くという考え方

行動基準学

こんにちは、こんばんは、晴れです。

普段はサラリーマンをしています。

サラリーマンをしていると自分では気付かないですが、生活の単位が「日」になっています。

 

行動の基本単位が「一日」であると言い換えてもいいかもしれません。

もっというならば「月単位」「年単位」とも。

 

つまり、行動の基本単位が大きくなりがちなのです。

「そのままの生活を続ける」というならばそれで問題ないのかもしれません。

 

ただ、みなさんもわかっていると思いますが、いま世の中はものすごいスピードで動いていっています。

ですので、自分だけ「今まで通り過ごす」ということは、多かれ少なかれ難しくなっていくでしょう。

これは容易に想像できるのではないでしょうか。

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結論:「時給換算」で動くこと

結論からいうと、お勧めするのは「時給換算」で行動を決めていく、ということです。

むしろ「時間単位」での行動をとっていかないと人生で損をすることになるかもしれません。

 

「一時間ごとの行動スケジュールを決める」ということではありません。

 

それは、自分の行動を時給に換算して「元が取れるのかどうか」を考えながら行動する、ということになります。

時給換算で動くとは

まずは、自分の時給を考えてみましょう。

年収300~400万円の人で考えると、時給がおよそ2,000円だとみなすことができます。

  • 4,000,000÷12か月=333,333円/月
  • 333,333円÷20日=16,666円/日
  • 16,666円÷8時間=2,083円/時間  (※ボーナスなどを考慮せず)

例えば、一時間かけて「ある行動」をするとします。

その場合、その行動に2,000円の価値があるかどうかを考えるのです。

  1. 一時間「あるテレビ番組を見る」→その番組には「2,000円を払ってもいい」と思える価値があるのか
  2. 一時間「ゆっくり過ごす」→その休息には「2,000円を払ってもいい」と思える価値があるのか
  3. 一時間「ネットで調べ物をする」→そのネット検索には「2,000円を払ってもいい」と思える価値があるのか

個人の価値観も関わってくる

こうなってくると、それぞれの「人生の価値観」も関わってきます

要は「何を重視して生きていくか」という基準のことです。

 

先の例でいうと、「ブログ記事作成をして発信することが一番大事」と考えている人であれば、1~3すべてが必要な行動になるかもしれません。

  1. →「テレビ番組情報からブログが一本書ける!」
  2. →「ゆっくり過ごすことで、効率が上がりブログを二本書ける!」
  3. →「ネット検索結果をもとにブログを一本書ける!」

もちろん、違う価値観の人には「不必要・非合理的」な行動に映るかもしれません。

ですので、それぞれの価値観の上にのせる「基準の一つ」として捉えていけばいいのではないかと思います。

「日単位」「月単位」によって導かれる行動

会社員として行動するならば「月単位」「日単位」で行動するのは当たり前だといえます。

なぜなら、給与体系も多くの人は「月給(一部の人は年棒制)」で、業務の単位も「月」だからです。

 

決まった時間に会社に行き、だいたい決まった時間働き、その後帰宅する。

それに伴い、すべての行動基準が「月単位」「日単位」となってしまいがちです。

「自宅に帰ったら一日が終わり」

これを当たり前と考えるのであれば、少しもったいない行動をとっているかもしれません。

それは「会社で過ごしている時間以外の価値」を見落としているからです。

 

サラリーマンに限らず、給与所得を得ている人はある意味「自分の時間をお金に換えている」と言えます。

「時間を売って給料をもらう」ということ自体はいいと思うのですが、会社で過ごす時間以外の時間も大切にすべきだと思うのです。

 

「誰もに対して平等なのは時間だけ」と思えば、その時間をどう使うのかによって人生が大きく変わりそうだと思いませんか。

まとめ

「全ての行動のたびに時給換算して比較をしていかなければならない」ということならば、少々息苦しさを感じるかもしれません。

ですので「全ての行動」に当てはめてほしいとは思っていません。

 

ただ、このような考え方をもって一日を過ごすことで、何気なく過ごしていた時間に気付くことがあるかもしれません。

それだけでも「一日の密度・濃度」が上がりそうではないでしょうか。

 

こういった試行錯誤の繰り返しによって、時間の有効活用ができるようになり、生産性向上・無駄の削減とつながっていくことを願っています。

 

そして、その結果、「明日がいい日になりそうだ」と思いながら一日が終わっていくのならば、「いい一日の過ごし方ができた」という証拠ではないでしょうか。

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